バースと

 

「すきとおった風がざあっと吹くと、栗の木はばらばらと実をおとしました。」というあたりから、一郎は山猫の世界に到る道へのヒントを少しずつ得ていく。まず、栗の木に山猫の行方を訊くのだ。この後、笛ふきの滝、きのこの楽隊、りすに道を訊くのだが、話のはじまりで「すきとおった風がざあっと吹」いたことも忘れてはならない。それは、一郎が日常の世界を離れる幕明けなのだ。だから一郎は人間でないものにばかり0\Ⅵ宮沢賢治の猫道を尋ねている。そのうちに道は「まっ黒な極(かや)の木の森」に到り、「椎の枝はまつくるに重なりあって、青ぞらは一きれも見えず、みちは大へんな急な坂に」なる。ここを越えると「うつくしいきん黄金いるの草地」に出るが、ここはもう明らかに、山猫の世界、非日常の世界である。そこには片目の変てこな男がいて、山猫の馬車別当であると言う。これこそ、まさにゴ、-シュ・かま猫の系列に属する男と思ったが、実は違っていた。彼は一郎の見えすいたお世辞にすっかり喜んでしまう。なんだか、山猫の世界も俗っぽくなっているのだ。

これが人を動かすそもそものスタートで、この部分を素っ飛ばしては目的を達成できるはずがない。「社員や部下が思ったように動いてくれない」と嘆く経営者、管理者ほどこうした努力を怠っているように思う。ただし、これをやるには多大なエネルギーと時間、そして金もかかる。だが、やればやっただけの効果がはっきりとあらわれてくる。わが社の場合は、わたし自身が講師となり年に何十回となく、一泊二日の新入社員向けや階層別、幹部社員の研修会を行う。どんな内容にするかテーマを決め、前もって資料やレジュメを用意するが、この準備だけでも半日以上のエネルギーと時間を費やすことになる。また、社員を一堂に集めると交通費、宿泊代、食事代などかなりの出費も要する。これだけの投資を行ったとしても、一回や一回の研修会で効果が出るわけではない。

社長職は名誉職ではないのだ。われわれの会社とこれからの生活がかかっているポストなのだ。過去の立派な実績は、確かに、安心材料の一つにはなる。しかし、過去の成功も、一皮むけば、本当は誰か他の人のアイデアをパクッて実行しただけかもしれないじゃないか。実際、日本企業によくありがちな、業界横並びで、他の会社もやっているからうちもというような感覚で、これまでやってきているのだ。しかし、自分のアイデアもなしに他社のまねだけしていたのでは、到底、この経営環境を生き残れない。何しろ、社長も言う通り、業界全体が生き残るのは、もう無理なのだ。生き残り組に残るためには、他社のまねではない独自のアイデアが必要なのだと。必要なのは未来を切り開く本当の経営者最近よくこの本で取り上げたようなテーマで講演を依頼されることが多い。

もちろん、通常の入社式はその前に終わらせていた。ダンス・ミュージックで踊ったのは、一種の打ち上げパーテイーのようなものだ。ちなみに私はF3000のフォーミュラーカーで登場し、新入社員たちの度肝を抜いてやった。反対側の一扉からはフェラーリ・テスタロッサも入場してくるのだから、ディスコ以前の段階で、十分に非常識な入社式だっただろう。仮にも上場企業の入社式やからな○当時、私はどうしても優秀な新卒社員がほしかった。経験者を採用して即戦力として派遣先に送る、というそれまでのアウトソーシング・システムに限界を感じ始めたのだ。経験者はいつか枯渇するし、この体制では若い世代を育てようがない。そこで、新卒社員を大量に採用して、研修所で技術をたたき込み、一人前の技術者として派遣先に送るシステムへと転換を図っていたのだ。